推しがいると人生が楽しい

白鳥スタイルのキャラクター大好き人間

恋愛を考える

よく任意のABに対して「この二人の間に恋愛が発生しているところの想像がつかない」とか言ってるんですが、この場合の「恋愛」が何なのか、何を満たしていればそのABの間に恋愛が発生すると自分が思えるのかを、ごりごり考えていこうと思って書きだしている。

私は「恋」と「愛」の間にあるのが「恋愛」だと思っていて、この話を考えていく上でこの3つの単語の定義づけが必要なのだろうな、と思う。

「恋」は私の中では利己的で傲慢な感情だ。恋は夢見る心だと、かのアンデルセン(fate)は言った。それもかなり私の中の恋の認識に近い。

私の中の「恋」は、かなり片思いの感情に近い。俳優やアイドルにガチ恋しているオタクなどを観測するたび、私の中の「恋」の定義に近しいなあと思っている。一番近いのは小中学生の恋バナ、というやつが近い気がする。

勝手に彼の名字になったらどうなるかを考えたり、もし告白されたらと考えたり、その彼のことを考えているというよりは「恋すること」自体を楽しんでいるような。「恋」に酔っているような。だから利己的で傲慢だなあと思う。相手のことを考えている感じがしない。あと、人間を消費しているなあとも。消費している、そう、ガチ恋オタクなんかはまさにそんな印象を受けていて、名前を覚えていてくれたことに一喜一憂(これは若俳あたりの話をしてる)したり、プレであげた服を着ているとこをSNSで発信してくれるのを見て喜んだり。でもほかの人にもそれをやっているところを見て怒りとも嫉妬とも妬みとも悲しみともとれるようなしんどさを抱えていて。あれは大変そうだな、と思いながら見ている。

恋は夢見る心。そう、もしこうなったらどうしようとか、「もし」を前提にあれこれ考えてはその行為自体を楽しむ。だからこそ夢を見ている、と私は思う。「もし」なんて、自分が行動しないかぎり発生しえないのに、それでも考えてしまうのが恋なんだろうなあ。

まあこの辺は人によってかなり認識に差があると思うので、私が生きてきた中ではそういう認識をしている、というだけなんですが。

 

じゃあ「愛」は?となると、まずは以下の言葉を定義してる。

「責任を感じるから、自分のためにその人間が必要だから、その人が悲しいことが嫌だから。そうやって『自分のため』の気持ちで結びつき、相手に執着する。その気持ちを、人はそれでも愛と呼ぶんです。」

これは私が最も好きな作家の作品の引用だけど、まさしくこれだなあと思う。「愛」は「執着」だ。

自分のために相手に執着する。恋と何が違うのかといえば、相手に何かを望むというよりは自分が相手へ何かをする、という点かなと思う。起点の差。アンデルセンも「愛は与える心」と言いましたからね。CCC未プレイのくせに名言だけ引用してしまって申し訳ないですが……。

愛について説明することあんまりないんだよな、私の中で「愛は執着」「与える心」で結論出てしまってるから。それを誰かにわかってもらおうともあんまり思ってないし。

というのもこれは私が母から一般で言われるとこの「無償の愛」を受けて育ったからだろうなと思っている。母、私が生きてるだけでとても喜んでくれるし、私が勉強できようが運動ができなかろうが、太ろうが何しようが「あなたは私の宝物だよ」「大好きだよ」と言ってくるような人なので。成人した今でも帰省するたび言ってくるレベルで。でも何も見返りを期待してなくて、テストで百点とったらすごいと褒めてはくれるけど、百点をとったから好き、にはしないような人だから。「生きてるだけで十分」を地でいってるような人に育てられたので、その辺が「愛」の感覚になってるな。「与える心」だなあと。何かしてあげたいと「執着」する心だなと。

関係ないとこに話を飛ばすと、配偶者なり子供なり、自分が愛した人間が誰かの手によって殺されたとき、その犯人に復讐するのは愛だなと思いますね。おそらく一般論ではないのだろうけど。

 

この間にくるのが「恋愛」なんだけど、これがまあ難しい。私は「交際」とか「付き合う」とかいう概念を口約束なのになんで浮気しちゃいけないとかもろもろの行動を制限されなきゃいけないわけ?と考えているようなクソ面倒人間というのがまずあるから。

でも「恋愛」ってのは、そうですね、「交際」している二人の間に発生するものではあるかな、と思ってるな。いずれ「愛」になることもできる状態だとも思ってる。「愛」にするには対話するしかないとも。

一個前のブログでも話したけど、私は一般的な大衆の恋愛の認識って以下の点があげられると思っている。

1.嫉妬

2.照れ(褒められてとか、思いがけない言葉でとか、可愛い表情やかっこいい顔でとか)

3.ドキドキ(胸の高鳴りが止まらない、相手の体に触れてドキっとする)

4.好きで好きでたまらないという感情

5.甘い言葉(好きだとか愛してるとかそういうやつ)

まあ世間一般的にはこういうのが含まれてれば恋愛なんだろうな~~みたいに思ってるな。ただ何となく私の中では上記のものたちだと綺麗すぎるなあと思ってて。これは私が人間自体を愚かで醜い存在だと捉えてるからってのもかなりあるけど。恋愛ってもっと汚い感情がたくさんあると思ってるんだよな。

あと、恋愛って交際相手もしくは「おそらくしばらくしたら交際関係になるだろうなとなんとなく互いに認識のとれている状態の相手」と発生するものかなと思ってる。

だから片思いはかなり恋に近い。愛に近い片思いもあるんだろうけど、私の中のマジョリティの考えを今は並べてるだけなので割愛。

恋愛と聞いて私が最初に思い浮かべるのは嫉妬でも胸の高鳴りでもなく、「試し行為」と「察して」だ。

相手のことが好きだけど、相手がそう思っているかが不安で、「本当に私のこと好きなの?」と言ってみたり、別れたいなんて思ってないのに「別れよう」と言ってみたり。本当にこの辺りは人間の醜さと弱さだなあと思う。愛を確かめようとするために相手を試すような発言や行動をする。これらを「試し行為」と私が勝手に呼んでいる。でも好きだからこそ同じ大きさの感情を相手が持っているかどうかを知りたくなる、という感情はわかる。好きなのだ。だからこそ捨てられることに不安になってしまうし、先回りして「もう終わりにしよう」なんて言ってしまう。不安でいるのが辛いから。本当はこうしてほしいとかこうなってほしいという願望があるけど、それが叶えられることはないとわかっているからこそ。

その感情がわかってしまう自分が嫌いだから恋愛が嫌いだ。だからここは難しいところで、この試し行為をされた側がそれを鬱陶しく感じたら破局なんだろうし、「どうしてそう感じたのか」「何を行えばその不安は解消されるのか」みたいな自己分析と相手との対話を行って、折衝点を見つけていけば愛になっていくと思う。

「察して」については、本当に傲慢だな…と思う、本当に。でもこれはなぜか友人には発生しないけど交際相手には発生しがちな状態だよなあともなんとなく思ってる。自己認識でしかないので誰かに共感してもらいたいとかはあまりないのだけど。

言わなくてもわかってほしかったとか、察して欲しかったとかそういうやつ。言わないと伝わるわけねえだろ。と、思ってしまうね。たとえば誕生日プレゼントとかね、サプライズがいいけど自分が欲しいものを貰いたい。みたいなやつ。それで欲しくない物だったら不機嫌になるみたいなやつ。サプライズも欲しい物もどちらも手に入れられるわけねえだろと思ってしまう。まあたまに奇跡的に相性のいい交際を行っている二者の間では「どちらも手に入る」が普通にまかり通ってしまいますが…

「察して」はあらゆるところに適用できて、怒ってるのに「怒ってない」と言うとか、そういうやつね。相手に感情を予測させて、自分は望む言葉が既にあって、そうやって相手を動かそうとする、相手に対応と思考の労働を強制するような行為。それをするのが恋愛だな~と思ってるし、この考えはかなりなんていうか、創作には不向きな考えをしているな、と思う。創作物の恋愛ってだいたい相手が「察して」くれてしまうので。

それに二次創作の場合、こんな小癪なことをするようなキャラって中々いない。かなり現実よりだなあとも思ってる。「察して」も「試し行為」もかなり現実よりの恋愛の定義だから、創作物ではまた違うんだろうなあと思ってるな。

 

だから私が年々キャラとキャラの間で恋愛させるのが難しくなってるのって、「察して」と「試し行為」をしないだろう、と思っちゃうからなんだろうな。そりゃしねえわ。

原作で恋愛発生しているAとBでしか恋愛CPとして中々見れなくなってる気がするもんな。恋愛を醜い感情だと思ってるからなんだろうな~これは。なんかもうちょいいい方向に恋愛を捉え直すことができればいろんなキャラの恋愛を考えられるような気がするけど…そのためにはまず人間に対する認識を改めなきゃいけないのが厳しい。

まああとは大多数の人間はAとBの関係性の最上位に「恋愛」を置きがちだと思ってるんだけど、私はそう思ってないってのもある。人間、恋愛が本当に好きだよね。いや私も嫌いではないけど。恋愛してほし~と思うこともあるし。でも基本的にはAとBが行き着く先が「恋愛」というものに収束するしかないのか?と思ってしまう。

あ、キャラに恋愛してほしいと思うときそのキャラに何を望んでいるかって「相手が自分のことをどう思っているのかわからなくて不安になったり一人で悩んだりしてほしい」みたいなのがあるので、やっぱり試し行為一歩手前だ。ここだけ考えてけばそうなりそうな二人はそこそこいそうなんだけど、どうだかな~難しい。

私は恋愛のことを「試し行為」とか「察して」ありきで考えてるから恋愛しないだろうな…になりがちなんだろうな。実際創作物にそこまでの現実味を求めなくてもいいのにね。ちょっと嫉妬いれて嫉妬したのはあなたが好きで心配だからだよみたいな文脈にしてドキドキさせれば世間一般でいうところの恋愛っぽくはなるんだろうなとわかっていてもそれができないって感じなんだろうな……。今嫉妬とかドキドキの感情を持った創作物のこと悪く言ったような感じになってしまいましたが、そうなる二人だっているんです。浴衣姿やら私服やらを見てドキドキするとか、他の人間と親密にしてる姿見て嫉妬するとか。そういうキャラだって当たり前にいる。

ただABを画一的にとりあえず嫉妬させたりドキドキさせたりして枠にはめてるのとかがあまり好きではないだけで……これを私は恋愛の中の物語と呼んでて、恋愛のテンプレートにその二者を押し込めてる感じがしてあんまり好きじゃないなあ、みたいなあれですね……めんどくさいことは承知している。そして私がそういう「枠に押し込んだ」創作をやらない、という自信もない。いつかやってしまうかもしれない。見たいという気持ちが先行して。だからあまり強いことは言えない……自分のことを棚に上げたくないので……

あとここまで書いた恋愛、基本女性側の目線になってしまった。男性、ひいては少年の恋愛って難しい。基本的に十代から二十代前半の男が恋愛するのって半分くらい性欲由来だと思ってるので。偏見だな~と思うけどそんなもんじゃないかな、とも思う。

これは「恋人がいるという状態になりたいから恋愛する」「ステータスとして恋人がいる状態になりたい」みたいなことも考えが及んでしまう。そっちの話を始めるとまた長くなりそうだしかなり現実よりの思考だから今回は割愛。

あと私は恋愛は趣味のひとつだと思ってて、それも多分世間一般と違う気がする。私の中での恋愛は野球が趣味とか読書が趣味とかそういうものと同列の存在でしかない。恋愛ってわかりやすいコンテンツだから、あまりにもメディアからの摂取量が多くてまるで人間が生きていく上での必須項目みたいな認識になってる部分があると思ってて(最近はそういう考え方じゃない人も増えてきてるな、とは思うけど)だからこそ恋愛を必須項目として捉えている人間との認識に差が生まれてしまうんだろうな~

別にその二人が恋愛しない=ディス、ということではないんですよ、というのを言いたかったんだけどまあこれは届かない。相手が仮想敵なので。

やはり私の中で恋愛という感情はかなり醜いものでそれが発生しないだろうと思ってるから恋愛しないと言ってるだけなんだな。この自己認識を変えない限り中々創作で恋愛させられなさそうだと思う。

あとこれ書いててセックスのすべてが恋愛の延長線上にあるわけではないという話もしたくなったけどこれも長くなりそうなので割愛。なんかこう、交際相手とセックスをする必要性とか、人はなぜ特別な人間とセックスしたいと感じるのだろうかとかも色々考えたりしているんだけど、まだまとまりきっていない。性欲があるからって理由しか思いつかない。現実としてはそうなんだけど、でもそれじゃなんかこう、創作としては物足りない。でもこれも結局メディアによる刷り込みな気がするし、恋愛と同じで人間のセックスに対する認識ってかなり差が大きい。

私はキャラクター達が恋愛よりも大切なものがあるだろうなあと思ってるとそっちをやはり優先して考える。でも「とりあえず恋人がほしい」と思ったりするかもしれないし、「性欲解消できる相手がほしい」と思ったりするかもしれないな、と考えながらやってくしかない。

私が考えるこれらをキャラクターに押し付けないようにして、任意のAとBが恋愛というものをどう認識しているのだろうか、というところから考える必要があるのだと思う。難しい。だけど私は恋愛って「察して」と「試し行為」だなあと思ったりしてるから、それらを行わなさそうと思ったら私の中では中々恋愛にしないんだろうなあ。CPにはすることはあるだろうけど。CPはあくまでAとBの間の唯一無二の関係性、という認識だから。だからほかの人から見たら私の創作物で「これは恋愛じゃん」となるような二人もいるんだろうな、と思う。

考えが変わったら追記するかもしれないけど、今のところはこんな認識だ。

以上、恋愛について考えた。終わり。