推しがいると人生が楽しい

白鳥スタイルのキャラクター大好き人間

「美しい恋にするよ」と言った君へ

6人から4人になったあと、はじめて発売された4人でのシングル曲、チャンカパーナ

そのCメロ前に、手越祐也加藤シゲアキ小山慶一郎、増田貴久、の順に、セリフを言うパートがある。

「美しい恋にするよ」「美しい恋にするよ」「美しい恋にするから」「約束するよ、チャンカパーナ

 

この曲は、4人になってから行われた初めてのライブで、セットリストの一番初めの曲となった。

神妙な面持ちでリフトから登場してくる4人。どこか遠くを見据えながら、目の前にいる観客を、なんだか愛おしむように見ていた。

このライブのタイトルが、「NEWS LIVE TOUR 2012 ~美しい恋にするよ~」だった。

美しい恋をさせてくれるアイドルとして、4人のNEWSが始動した。

 

昨日は4時間も手越祐也の声を聞くことになった。

会見が2時間、そのあと行われたOPENRECの生配信で2時間。

 

私は手越祐也から何が聞きたかったのだろうか。多分なにか聞きたかったわけではなく、ただ、彼の生き様が、私が好きだった手越祐也という人間の在り方が、嘘ではなかったのだという「確認」をしたかった。

 

会見場に現れた手越祐也は、髪を金髪に染めていた。

それもかなり、白に近い金に。

 

似ているな、と思った。4人で再始動したときの、4人のNEWSを引っ張っていくと、矢面に立って批判でもなんでも受けて立ってやると、一人奮戦していたときの、彼の髪の色と。

少しやせたように見えて、顔のよさは相変わらずだった。

 

へらりと笑った彼をみて、明るい声色で話し始めた彼をみて、私は安心していた。

ああ、私が好きだった手越祐也だ。と。

 

ここから約30分にわたって、手越祐也による説明があり、そのあと、1時間半にもわたる質疑応答があった。

様々なことを話していた。

 

数年前から脱退を考えていたこと。

ジャニーズではやりたいことをやれないと思っていたこと。

3/21、静岡でUR not aloneを歌ったあと、メンバーにその旨を話したこと。

本当はSTORYを終えてから辞めるつもりだったこと。

自粛期間中の外出はマネージャーには伝えてあって、だけれど週刊誌に撮られ、ああなったということ。

その場に女性はいた、俺の場合だと女性がいただけで手越キャバクラになってしまうと諦めたように笑っていたこと。

今後の活動は歌もやりたいし、ほかにもたくさん考えていること。

ジャニーズ事務所との話し合いのこと。

 

だいたい、こんなところだろうか。

それぞれについて私が思うことを、書いていきます。

 

これは頭お花畑の手越担の人間の思考に過ぎないので「手越のいう事なんて嘘に決まってんだろ」「女と遊びたいだけだろ」などという仮想敵のみなさんにはかまってられないので帰れ。頭がお花畑だと揶揄されようとも俺は手越祐也を信じたいんだから好きにさせろ。

 

・数年前から脱退を考えていたこと

これについては、たまに手越担の人やNEWSのオタク達が嘆いていたのを見ていたんだけど、そんなのオタクのよくある杞憂だろと思っていた。

ちなみにこの「手越君が辞めてしまうかも」という不安が一番大きかったのは2019年1月、「EPCOTIA ENCORE」のライブがあったときだと思う。そのとき荒野行動の垢バレとかでも荒れてたしね…

だから、フォロワーが「いつか来るかもと思っていたけど」と呟いているのを目にしたとき、そうなのか、と思った。これは私の手越祐也の偶像化が原因なんだろうね。

手越祐也NEWSを捨てない、というのが、私の中の手越祐也だったから。

 

・ジャニーズではやりたいことをやれないと思っていたこと

ディナーショーをやりたかった、もっとファンと会う機会を増やしたかった、ソロライブをやりたかった、ハロウィンイベントをやりたかった、ほかのアーティストとのコラボをもっとやりたい、と、彼の口からやりたかったことが溢れでてきた。

これは会見後の配信でも話していたけど、本当に手越祐也はやりたいことが多かったんだな、と思った。

プロデュース業もやってみたい、海外でライブをしたい。実業家にはならないと思うけど。ホストにもならないよ。そんなことを配信で語っていた。それはたしかに今までのライブDVDの特典ドキュメンタリーなどで彼が語っていた、聞いたことのある夢だった。

この件について、「ディナーショーはV6のトニセンがやってるよ」「Kinkiは二人ともソロアルバムだしてる」など、ほかのジャニーズの例を出してた人が数多く見られた。

うん、実績はある。でもきっと待てなかったんだろうな…

手越祐也座右の銘、いつ聞いても「タイムイズマネー」なんだもん。彼の生き急ぎぶりは私の予想を遥かに超えていたけれど、待てなかったんだろうなあ。

 

・メンバー、事務所との意識合わせについて

本当はSTORYを終えてから辞めるつもりで、ジャニーズ事務所にはその旨を伝えてあったという。

このあとコロナが猛威をふるい、ライブは全公演中止となった。

このコロナがなければ少しは違う結末を迎えられたのかもしれないなと思うと、自然の流れという逆らいようのない事象を恨めしいと思う。

コロナによる自粛期間中による外出。これもきっと要因のひとつだったんだろう。

一般の大多数の人は「コロナで外出したことで活動休止にされた手越がキレて辞めた」または「事務所が言う事を聞かない手越をクビにした」と思っている、と友人から聞いて驚いた。そんな程度ではこんなことにならんだろと思ってたので。あと私が「コロナの自粛中に外出」をそこまでの悪事だと認識していなかった(今もしていない)ので。

 

まあでも、きっかけのひとつではあったんだろうな。

ここについて、「事務所と何があったのか」「どちらから先に辞めるor辞めろと言ったのか」ということを気にするオタクを見た。なるほど私はそこに気をとられなかったけど、そういうことを気にする人もいるのだな、と思った。

 

・週刊誌、芸能人をただストレスの捌け口にしたい人達

会見が始まってから、笑いながら話を進める手越祐也に対して、何件もの「謝れよ」というコメントを見た。何に謝れというのだろうか。ファンに対して、メンバーに対してなら、わかる。

だけどその謝れは、自粛期間中に外出したことについてなんだろうなと思う、ほーんとどうでもいい。

自分が我慢していることをお前も我慢しろ、という文化が嫌いだ。

まあ今回の場合は事が事なので怒る人間の気持ちもわかるんだけど、それでもやはり、手越祐也手越祐也だなあと話を聞いていて思った。

どうしてもネットを介しての会話が嫌だった、と彼は語った。

まあ、「そもそもこの外出が今後の彼の仕事のことではなくただキャバクラに行っただけだろ」と言うのは勝手だが、なら私が手越祐也の言葉を信じるのも勝手だろ、勝手にさせろ、と仮想敵にキレておく。

 

「大事な話は直接会ってしたい、どうしても」と、会見後の配信でも手越祐也は語っていた。

それを聞いたとき私は、「これが手越祐也の信念だったんだろうなあ。なら仕方ないな」と思って、泣いた。

これは手越祐也の思想が悲しかったからではなく、手越祐也が彼の中にある信念に従って生きている人だとわかったことによる感動によるためだ。

 

どうしたって曲げられない信念というものが、私にはある。

その曲げられないものを、他人からみたら「そんなことで」と思われるものを、私は信条として、生きるためのよすがとして今まで生きてきた。

この信念というものがあるせいで失った友人もまあまあな数いる。信念を曲げるくらいなら友人と縁を切ったほうがマシだと思っての行動だった。これについてまだ交流のある友人達からは「なんでそんなことで」と口を揃えて言われている。

だけど私には曲げられなかったし、たぶんこれからも曲げられないのだろうな、と思っている。

ちなみにこれは小学校のときなどの幼い頃の話ではなく、成人してからの話だ。

成人した人間が友人というあやふやな距離感の存在と「疎遠になる」ことは数あれど、「縁を切る」という言いまわしをあえて使っているあたりで私の信念というものに対するこだわりを察してほしい。

 

だからきっと手越祐也の「大事な話は直接会って話したい」というのは、手越祐也の中での信念だったんだろうなあ、と思った。コロナで自粛を求められる中だろうと、事務所に注意され、止められようとも、信念を曲げることはできなかったんだろうなあ。わかるなあ、と。

勝手に理解した気持ちになるなって感じだけど、そう思ったのだから仕方ない。

私が好きになった手越祐也ってそういう人だったな、と深く感じた。

 

「俺ウソつけないから」と何度も言っていた。

本当にそうなんだろうな…忖度とかしないし、事務所のいう事も聞かないし。私が事務所の人間なら確かにやめてくれと思うのも仕方ないな、と思った。

だから、仕方なかったんだろうな、という気持ちが大きい。

手越祐也には曲げられないものがあって、事務所には守らなければならない社会倫理、規範があった。

どちらも正しいと思うし、でも私の個人的な思いを言わせてもらえば、4人のNEWSでいてほしかったということくらいだ。

 

・今後の活動について

ファンクラブを作る。YouTubeをやる。インスタもやる。海外に行きたい。などなど、さまざまなことを語っていた。

これらの活動が実現するかはさておき(ジャニーズ事務所のでかさというのは本当にヤバそうだと思ってるので圧力とかもすごいのではないかと危惧してる)私がそれらの活動を熱心に追うことはないだろうな、と思う。

もちろんテレビをつけて出演していたら見るだろうし、YouTubeでおすすめに表示されたら「今なにやってんのかな」と覗くことはあるだろう。だけど今までのような熱を持って推すことはしないんだろうな、と思う。

 

私が好きだった、4人のNEWSの手越祐也

手越祐也に嘘はなかったし、手越祐也手越祐也であるからこそ脱退という結果になってしまったわけだけど、それでも私は「4人のNEWS手越祐也」が好きだったのだ。

 

小山慶一郎から甘やかされ、歌番組の生放送前には、緊張で震える小山慶一郎の手を握っていた手越祐也

増田貴久という、アイドルとしての在り方も性格も正反対の人間とシンメを組み、美しいハーモニーを奏でていた手越祐也

加藤シゲアキは同い年で一人っ子という似た境遇を持つ人で、作家というジャニーズで初めての道を切り開いた人として、尊敬もするしライバルとして見ていたと語った手越祐也

 

この三人に愛されている手越祐也が私は好きだった。

それが先週の3人でのライブの「歌わない」という選択に現れていた。実際はあのライブの時点で手越祐也が脱退することは決まっていたのだけれど、けれどあのライブで手越祐也のパートを歌わないでいてくれた3人には、なんと言葉をかけたらいいのかわからない。あの「歌わない」という選択は、3人の、手越祐也に対する愛だったと、私は思っている。

そこに、歌わないでいてくれた場所に、帰ってきてくれる手越祐也という存在が、私は好きだったし、それは私の中での偶像としての手越祐也だった。

 

彼も人間で、やりたいことがたくさんあって、今の場所だとそれができなくて、できるとしてもものすごく時間のかかることで。やりたいことと、NEWSというグループ、またそのファンを天秤にかけて、やりたいことのほうをとられてしまったのだから、もうどうしようもない。

 

また、この一連の件で私が思ったのは、人っていろんな人がいるな。ということだった。

よく、「あなたみたいな人ばかりじゃないんだから」と言われてきたが、「いろんな考えの人がいる」ということを、初めて明確に理解できたのではないか、と思う。

なぜ辞めたのかを気にする人がいる。事務所がクビにしたと思って手越祐也の全面的な味方を続ける人がいる、手越祐也は勝手だと怒りを露わにする人がいる。そして私のような、今までの手越祐也が嘘だったのかということだけが気になる人もいる。

上記は基本的にNEWS担で観測した人たちなので、一般の人まで探したらもっとたくさんあるんだろうな。

あの会見見て手越のこと好きになったみたいなコメントも見たし。

ああ手越祐也は敵を作りやすいけど、その突き抜けた行動を好きになる人もいるんだな、私もそうだったな、と思った。

 

最後まで手越祐也は笑顔で、会見の最後には彼の有名な台詞()である「ティ」を思い切り行っていて。それはまぎれもなく、私が好きだった手越祐也だった。私が好きだった手越祐也は、私が、一年半という短い期間だけれど好きだった手越祐也は、こんな厳粛な空気の中でもそれをできてしまう人間だった。

 

会見中、笑みを浮かべ続けることで、噛んでしまったことを誰も笑わない中ひとり爆笑することで、涙を流さないことで、批判は全部手越へどうぞ。を最後まで貫いてくれていた。残された3人に、誹謗中傷が向かないように。

最後の最後まで手越祐也は、NEWSのセンターでエースで、最前線に立って、世間からの攻撃という矢を受け続けてくれる人だった。

ぐさぐさと刺さる矢を気にもせず、彼はいつものへらへらとした笑みを浮かべてくれていた。

 

手越祐也に嘘はなかった。彼はずっと私が好きだった手越祐也だった。

だけどもう、NEWS手越祐也ではない。

4人のNEWSではなくなってしまった。

私が好きだった手越祐也の歌も、一人では成り立たないのだ。ハモりもフェイクも、メインのメロディーを歌う人間がいてこそ引き立つものだったから。

手越祐也が突き刺すような攻撃的な歌声なら、増田貴久は包み込むような優しい歌声で、だからこそ二人の奏でる歌が好きだった。

手越祐也の突拍子もない発言を、ファンの目線で適度にかきまぜて盛り上げてくれる、小山慶一郎加藤シゲアキがいて。

4人になったNEWSがイチゴのないショートケーキと揶揄されたことを知りながら、2018年に行われた15周年記念のライブに「strawberry」と名付けたことが、どれほど胸を打たれたか。

それは単に「15(いち、ご)」という意味だけではないのだということを、ファンならわかるから。

そんな、4人のNEWSが好きだった。

4人のNEWSを引っ張っていく存在としての手越祐也が、好きだった。

 

 

2012年、4人になってから初めて行われたライブで、「美しい恋にするよ」と手越祐也は言った。

 

手越祐也は最後までずっと変わらない手越祐也だった。私が好きだった彼がそこにいた。どこまでも手越祐也手越祐也のままで、だからこそこうなってしまったのだ、ということがわかった。

手越祐也のその不器用なまでにまっすぐで嘘のない生き様が、美しかった。

 

ありがとう。これからのあなたに幸多からんことを祈って。

 

美しい恋だったよ。