推しがいると人生が楽しい

白鳥スタイルのキャラクター大好き人間

手越祐也は主人公ではない

主人公になれないキャラクターが、主人公になるために努力する物語がすきだ。有名なのだとタッチとかが当てはまる。

今でこそ手越祐也はNEWSの顔として、いい意味でも悪い意味でも世間に知られるようになったが、それでもまだ、私は手越祐也を主人公だとは思わない。

主人公、というのは、なにもしなくても光を浴びることができる人間だと思う。
物語において、主人公という存在は、ときに苦難があれど、最終的には勝利を収め、栄光を手に入れることがてきる人物だと私は考える。(デスノートとか例外は多々あれど)

手越祐也は、主人公ではない。

手越祐也は、主人公になりたくて努力を重ねるタイプの主人公だと私は考えていて、試合に負けて一人きりになってから感情のやり場をなくして壁を殴るような負けず嫌いな人間だと、私は思っている。
だからこそ手越祐也が、たまらなく好きなのだ。

昔のNEWSを思いだそう。

NEWSはデビュー当初、9人だった。
初めてのコンサートは8人だった。
そのどちらも、手越祐也の与えたインパクトは、ないに等しい。

山下智久は、主人公だ。
NEWSというグループの主人公。

約束された栄光の道を歩くだけのスター性を備えた人間。

そのうしろで、ひっそりと、彼に憧れていた少年がいた。
彼は同時、ジャニーズに入って一年にも満たなかった。「素人が一人ジャニーズに入っている感じ」と、彼は後に語る。

やりきれなかっただろうと思う。
憧れの人の後ろで、満足に踊れないことが。
そして、なにも爪痕を残せないことが。
全く目立てないことが。

その後2人が脱退し、NEWSは6人になった。
しかし手越祐也が、主人公になることはなかった。

「山Pと錦戸と愉快な仲間達」

そう揶揄されることもあったという。
実際、私が小中学生の頃のNEWSの印象はそんな感じで、テゴマスというユニットだって、同時放送されていたアニメ、ラブコンのEDを担当していることしか知らなかった。

さらりとテゴマスについて触れたが、これは彼がはじめに手にした、主人公達に対抗できる武器だったのだろうと思う。

ジャニーズは歌が下手。

私は歌の上手い下手があまりわからないのでなんとも言及しにくいのだが(普通にジャニーズも聞ける歌だと思う)、世間ではジャニーズは歌が下手だと言われることがあるらしい。

そんな中で、19歳の少年は歌を武器にしようと決めた。
ジャニーズにボイスレッスンはないらしい。
自分で自らボイスレッスンを行った話を知り、歌にかける熱意を感じた。

それだけでは、まだまだ主人公になれなかった。

スター性、カリスマ性、オーラ、数多の言葉で表現される、人気というもの。
主人公があっという間に獲得してしまうもの。
主人公が、生まれながらにして持ち得てるもの。

彼にはそれがなかった。
MCでは振られないと話さないし、なにか目立つような仕事もない。

そこに舞い降りたのが、世界の果てまでイッテQ!だった。
彼のバラドルとしての道がここから始まったが、この種が花を咲かせるのは、もう少し先の話だ。
イッテQ!手越祐也について語り始めるとおそらく長くなるので割愛。

さあ、主人公を倒すぞ。
主人公を越えるぞ。

そう意気込んだ矢先、主人公がグループから消えた。
一人ならず、二人も。

(私は今、四人になったNEWSを知っているが、6人のまま、エースになる手越祐也を見てみたかったとも思っている。)

思いもよらずエース不在となったグループ。
イチゴのないショートケーキと、人々は嗤った。

主人公になれなかった少年が言った。
「俺がNEWSのセンターに立つ。立つからには、誹謗中傷から三人を守る」(意訳)(この台詞の出展てどこなんだろう…)
グループ最年少の少年が、グループを背負って立つと決めたのだ。

しかもあの、山下智久がいた場所に立つと。

山下智久の人気ってなんなんだろうね。
なんかめちゃめちゃ人気なのはわかるのだけど、あれは顔なの?キャラなの?パフォーマンスなの?スター性なの?
ちょっとわからないのだけど、そこは割愛。

話を戻す。
少年は、無理矢理主人公になった。

そこから彼は、天性のアイドルと呼ばれるようになっていくわけだがーーーーー私は手越祐也を、天性のアイドルとは思わない。
天性のアイドルというのは、山下智久亀梨和也のことだろう。

「王子様がお姫様をあつーくするからよろしくぅ~!」「今日は俺らとデートしに来てくれたんですよねー!?」などの言葉を、自発的に発言していると解釈されて、生まれながらにそういう歯の浮く台詞が言えるという意味で、天性のアイドルと言われているに過ぎない。

あの甘い言葉達も、バラエティーでのキャラクターも、歌も、ダンスも、すべてが努力の結果だと思う。

前の記事でも触れたが、私は、アイドルなのに、という枕詞が大好きだ。
日本でのアイドルのテンプレートというのは、清廉潔白を良しとするもので、清純さ、爽やかさがあるほうがアイドルらしいとされているなあ、と思う。

実際そうやって、爽やかに、刺のある発言をせずに、にこにこ笑うというのは、不快感を与えることはないし、嫌われもしない。

だが、それで人気になれるのは主人公くらいだと思う。
主人公になれない人間が、テンプレートのアイドル像に従っていても、ただただその他大勢になってしまうだけだ。

そこで手越祐也が築いた己のイメージ戦略は、見事なものだったと思う。
日本の(主語がでかい)謙遜を美徳とする風潮が私は嫌いで、だから手越祐也が自分に自信を持っていることを隠さない姿勢がものすごく好きだ。
できると言い切り、有言実行するその姿が、たまらなく好きだ。
服がダサくてもモテるのよ、と、自身の外見に自信を持っているところが好きだ。

また、日本のアイドルは恋愛を隠さなければいけないという風潮の中(芸能人の恋愛とかなんでそんなみんなわやわや気にするんだろうね、中学生かよと思う)、ブラホックはいつも両手で外すの?と聞かれ、「いつも両手です」と答える姿や(そのあと否定しろ!と突っ込まれる)、女性とお付き合いを控えるように、と言われて「それは遊ぶのもだめってこと…」と続ける姿が(ダメだよ!!と突っ込まれる)、たまらなく好きだ。

その発言が許されるキャラ作りは、とても危ない道だったと思う。だってほんとなら、ただニコニコして爽やかにいい子にしてればいいんだもん、アイドルだから。
だけどそれだけでは人気になれないと思って、賛否両論ある道を選んで、貫き通して、笑ってもらえるようになって、すごいなあと思う。

生まれながらのもので主人公になれなかった彼は、次々とキャラクターを身につけていった。
アイドルがするようなことじゃない仕事や言動をして、どんどん世間から認知されていく。

先日、職場の40代男性社員にNEWSにハマった旨を話したら「NEWS?俺あいつ嫌い、手越」と言われた。そのとき私は自分の好きな人をディスられたことに多少苛立ったのだが、よくよく考えると、40代男性に認知されていて名前がさらりと出てくることってすごいのでは…?と思うのだ。

私でさえジャニーズの中でメンバー全員言えるグループなんてあまりなくて、なんなら一人もわからないグループだってあるのに、認知されていて、更に知っているだけでなく、なんらかの感情を抱かれていることがすごいな、と思ったのだ。
(完全な偏見だけどおじさん達多分A.B.C-Zとかキンプリのメンバーとかわからないだろうし…)

手越祐也は、生まれながらにして全てをもちあわせている人間を主人公とする、という意味では、主人公ではない。

けれど私の中では、最高の主人公だ。